長野県で行われる大迫力のお祭り、「御柱祭」。
このお祭りは諏訪大社の上社と下社で行われますが、それぞれに違いがあることをご存じですか?
今回は、御柱祭の上社と下社の違いについて詳しく解説していきます。
ぜひ今回の記事を最後までチェックして、御柱祭を存分に楽しんでくださいね。
御柱祭での上社と下社の違いは?
御柱祭(長野県)
御柱祭とは宝殿の造り替え。御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の神事を指す。
“御柱”となるのは樹齢150年、17メートルを優に超える16本のモミの大木だけ。
7年毎、寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てる。
人権意識の凍りつく、命がけの神事。https://t.co/wafJoq3Q7B pic.twitter.com/FfvYAnEONJ— さくら便り (@K1aISji55ZJLjHf) February 10, 2023
御柱祭は諏訪大社が行う神事です。
諏訪大社は上社と下社に分かれており、上社は上社本宮と上社前宮、下社は下社秋宮と下社春宮があります。
御柱祭の行事は細かく分けると御柱の選定など色々ありますが、大きく分けると御柱を里に運んでくる「山出し」と各お宮の境内に運ぶ「里曳き」があります。
この山出しと里曳きを上社、下社でそれぞれ3日間ずつ行います。
内容も全く同じわけではなく、少しずつ異なっているので詳細をご説明します。
上社山出し
最初に行われるのが上社の山出しです。
八ヶ岳の麓にある綱置場より氏子たちが網を曳くことで御柱が運ばれ始めます。
この運ばれる上社の御柱は「めどでこ」というV字の角のような柱が付き出しており、「おんべ」を振りながら氏子たちがこのめどでこの上に跨ります。
威勢の良い掛け声とともに運ばれる御柱ですが、途中には狭く屈折した「穴山の大曲」という難所が待ち構えています。
めどでこの先が民家に触れそうになるほど細い道を通過していく様子は見どころの1つとして知られています。
2日目になると「木落し」という最も迫力ある見せ場がやってきます。
これは茅野市の「木落し公園」にある斜度27度の坂で行われ、多くの若衆をめどでこに乗せた御柱が一気に坂を下っていきます。
そして、御柱を雪解け水で清める意味を込めた「宮川の川越し」が行われます。
冷たい川で濡れながら御柱を運ぶ様子はとても迫力があります。
下社山出し
上社山出しの次に行われるのが下社山出しです。
下社は東保渓谷沿いの棚木場から御柱が運ばれ、こちらも難所「荻倉の大曲」が待ち構えています。
萩倉の大曲はカーブが大きく、元網係など多くの人々が心を1つにしないと一気に通り抜けることができない場所になっています。
2日目は下社も木落しが行われます。
下社の木落しは下諏訪町にある「木落し坂」で行われます。
こちらは最大斜度が35度と上社よりもさらに急になっており、御柱に跨った氏子と共に100mも続く坂を轟音と共に下っていきます。
そして下社の御柱は「注連掛(しめかけ)」という行事で曳きつけられ、里曳きが行われるまで静かに安置されます。
上社里曳き
上社里曳きは約1か月間、御柱が安置されていた「御柱屋敷」からスタートします。
里曳きが行われる間、長持ち行列や龍神の舞、花笠踊りなどが行われます。
御柱が出発したと同時に上社本宮より「お舟」という神輿を担いだ人々が行列になり、宮司と共に御柱を迎えに行く「御柱迎え」を行います。
そして、各お宮に到着し、四隅に御柱を曳きつけると山作り衆と神職によって斧入れを行う「冠落し」を行います。
御柱の先を三角錐上に切ることで御神木としての威厳を正す意味があり、その後、人々の力とロープやワイヤーによって御柱を直立に立たせます。
下社里曳き
下社里曳きも騎馬行列や長持ち、龍神の舞などの伝統芸能と共に街中を進みます。
そして上社同様に冠落しが行われ、御柱は神となります。
このように上社と下社によって少しずつ行われる内容が異なっています。
御柱祭はいつから開催されているの?
諏訪大社
7年に一度の御柱祭で有名 pic.twitter.com/fkIYFp7dgO— 兵 (@aGSsAwqzXg18368) May 5, 2024
地元の氏子の方々や観光客などで大賑わいを見せる御柱祭。
この御中祭は一体いつから行われているのでしょうか。
実はその詳細ははっきりとわかってはいません。
ですが、室町時代に書かれた「諏訪大明神画詞」という文書に歴史上初の記録が残っており、平安初期から御柱祭は行われていたことがわかっています。
平安初期ということで今から約1200年前になります。
信じられないほど長い歴史がある祭りであることがわかりますね。
御柱祭の木はどこからくるの?
これまでご説明してきた御柱祭ですが、そもそも御柱は一体どこからくるのでしょうか。
御柱の伐採地も上社と下社では異なっています。
上社は上伊那郡辰野町にある伐採地から選ばれます。
下社は諏訪郡下諏訪町の東俣国有林から運ばれます。
諏訪大社の歴史や成り立ち
さて、ここまで御柱祭についてご紹介してきましたが、御柱祭を語る上で外せないのが諏訪大社についてです。
諏訪大社は全国に多数ある諏訪神社の総本山です。
「お諏訪様」と呼ばれる祭神を祀っており、風と水の守護神であり、五穀豊穣を祈る神として広く信仰されてきました。
とても古い歴史があり、10世紀初頭には信濃国一之宮として人々から信仰されていたことが「延喜式神名帳」という書物の中で記されています。
さらに「古事記」にも出雲の地で国譲りに反対した祭神「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が諏訪にやってきて国を作ったと記されています。
また「日本書紀」にも持統天皇が勅使を諏訪大社に派遣したことが記されています。
このように長い歴史を持ち、日本で最も古い神社と言われている諏訪大社ですが、諏訪大社にはいわゆる「本殿」がありません。
その代わり、下社秋宮は「一位の木」を御神木に、下社春宮は「杉の木」をご神木としており、上社は「守屋山」を御神体としています。
御柱祭のいい口コミと悪い口コミ
御柱祭の実際の口コミはどうでしょうか?
ここではネット上にアップされているいい口コミと悪い口コミを厳選して紹介していきます。
御柱祭へ行く前にぜひ参考にしてみてください。
いい口コミ
もともと、諏訪地方は石造文化でしたが、出雲をつくったオオクニヌシがアマテラスの子孫に出雲を譲り、オオクニヌシの次男のタケミナカタが諏訪に逃げてきたことで、出雲の木造文化が入ってきたと言われています。
熱気やエネルギーを誇示するだけではなく、結界を結成するといった名残でもあるようです。
東京からはとバスツアーで参加しました。
バスは快適ですが、現地ではだいぶ待ちます。出店もあるので、時間をつぶすことはできます。
諏訪大社で7年に一度行われる神事。7年ごとに建て替えしていた諏訪大社で、柱だけを建てるお祭りにしたのが始まり。1400年続く大祭は、日本で一番歴史が長く、規模が壮大だ。「人を見るなら諏訪の御柱」といわれるように、コロナ禍であっても、凄い賑わいだった。素晴らしいの一言。
長野県の諏訪地方で7年目ごとに開かれるのが「御柱祭」です。
「御柱祭」は、諏訪大社の社殿に建てられた約17メートルのモミの大木を建て替える神事です。
1200年以上続く行事ですが、今回は新型コロナ対策で異例の形となりったとの事です。
4月2日に行われるのは、御柱を山から市街地へ運ぶ「山出し」ですが、今回は氏子の密集を避けるため、人力で引くことを断念し、合わせて8本の御柱は大型トレーラーに積んで運搬されました。
その御柱に偶然ですが、ドライブ中に遭遇しました。
沿道には大勢の地元の方たちが、御柱を見送っていました。
悪い口コミ
諏訪大社上社本宮までは、上諏訪駅からバスで20分くらい。ここまではバスがあるのですが、そこから前宮まではバスもなく、さらに歩いて30分くらい。国道沿いを歩くのですが、そこはもう茅野市。ただ、それでも。せめてもの救いは、その間に、南アルプスの山々がきれいに望めること。頑張って歩きましょう。さて、前宮は、国道からあまり手の入っていない荒れ地のような斜面を登っていきます。そこは、神原(ごうばら)と言って、大祝(おおほうり)の居館である神殿(ごうどの)があった場所。それなりの価値ある場所なのだそうです。写真は、それを越えていった本殿。周囲には例によって御柱が四本立っていましたが、観光の雰囲気は全くありませんでした。さみしい場所です。
御柱祭の上社と下社の違いまとめ
御柱祭の上社と下社についての違いや諏訪大社についてご説明しましたが、興味をもっていただけましたでしょうか。
御柱祭は途方もなく歴史が深く、謎も多い祭りです。
歴史や背景を100%理解することは不可能に近いと言われていますが、その迫力や熱気を肌で感じるだけで日本の奥深さを感じることができるのではないでしょうか。
ぜひ御柱祭を現地で楽しんでみてくださいね。
長野県でオススメの観光名所まとめ
御柱祭と一緒に長野県の観光はいかがでしょうか?
人気の観光名所も巡って長野県を満喫してみてください。
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